2015-01-01から1年間の記事一覧
有直情而径行者、戎狄之道也。(『礼記』) 情を直く(なおく)して径ち(ただち)に行うある者は、戎狄の道なり(『礼記』)) 感情の赴くまま何のためらいもなく、行動、言葉を発する事は、戎狄(野蛮人)がすることだ。 ある事柄の一面性だけを捉えて、早…
サンポート高松へ行ってみたら、練習船海王丸(Ⅱ世)が高松港に。 海王丸の雄姿は、まさしく「威風堂々」の言葉が相応しい。 平成27年11月29日撮影。 →情を直くして径ちに行うある者は、戎狄の道なり(『礼記』) ←藤川球児、阪神復帰 お読み下さり、ありが…
藤川球児が、阪神に復帰する。 背番号は18。 今年、大リーグを自由契約となったあと、四国アイランドリーグの高知ファイティングドッグスでプレーした。 そして、来年再び、阪神に復帰した藤川球児を観れると思うだけでワクワクする。 「人生で最も輝きをも…
平成27年11月17日行われた第46回明治神宮野球大会決勝で香川県立高松商業高校(高商)が初優勝した。 それも大坂桐蔭を破りそして、今年選抜覇者の敦賀気比を終盤にひっくり返すという離れ業を演じての優勝。 こんなに嬉しいニュースは久しぶりだ。 参照:産…
高松市中山町にある四国霊場第八十二番札所根来寺は、今紅葉(こうよう)の見頃だ。 お遍路さんだけでなく、紅葉を見に来た一般の人も多く見られた。 すっかり秋だなぁ。 平成27年11月撮影。 →祝 高松商業 明治神宮大会優勝 ←市民行政プラザIKŌDE瓦町(瓦町…
瓦町FLAG8階に市民行政プラザIKŌDE瓦町がある。 戸籍、住民票の写し等の証明書を発行する「市民サービスセンター」 フィットネスルーム、健康相談などができる「健康ステーション」 多目的スタジオや画廊などの「アートステーション」 市民活動団体…
瓦町FLAGがオープンして、その周辺の商店街も盛り上がります。 今日は、トキワ街商店街で、「ときこす」というコスプレ大会が催されていた。 みんな思い思いのコスプレに扮しながら商店街を闊歩していた。 まだまだ続くイベントに、心が躍ります。 参照…
平成27年10月25日、香川大学工学部本館と高陽建設株式会社Gallery Sizucuで、こども未来館まつりが開催された。 こどもの興味をそそるような出し物が結構あった。 化石レプリカを作るコーナーでは、学生さんが講師となって化石のレプリカを作る理由や、実際…
平成27年10月23日、午前10時、瓦町FLAGがグランドオープンした。 待望の瓦町FLAGに期待も大きい。 今回は、ショッピングフロアが20時まで営業しているので、帰宅途中に寄れそうだ。 瓦町FLAGオープンに併せて、琴電瓦町駅構内の案内看板もリニュ…
琴電瓦町駅のある駅ビルに待ちに待った「瓦町FLAG」が平成27年10月23日オープンする。 着々と工事が進み、駅改札口辺りの柱もよろい調のような壁が見える。(後日アップ予定) 四国初上陸や香川初上陸の店舗も多く、完成が待ち遠しい。 瓦町周辺の商店街…
四国霊場第22番札所平等寺(徳島県阿南市新野町)近くの畑いっぱいにコスモスが咲いていた。 白・ピンク・赤と秋の始まりを感じさせるのに申し分ない程のその美しさに目を奪われ、ついカメラを向けた。 平成27年10月12日撮影。 →瓦町FLAG 10月23日オープ…
校舎、学び舎などでよく使われる「舎」。小学校で習う「舎」。 この「舎」。手持ちの辞書でも部首が三者三様。これは面白い。 まず、「人」を部首としているのは、 イ)『漢和辞典 改訂新版』(旺文社、昭和61年) (字義)余(=ヨ、シャは変わった音。屋根…
丸亀城城代佐藤氏について、もう少し掘り下げて見ていきたい。 佐藤志摩介の祖を辿ると奥州藤原秀衡の家臣で源義経に従った佐藤忠信嗣信の後裔にあたる。 佐藤嗣信は、平家追討の命を受け、平家の動静を義経に注進すべく寿永の初め頃より讃岐入りしていたと…
本日、香川県仲多度郡まんのう町にある、まんのう町琴南公民館にて、「安造田東三号墳出土モザイク玉調査報告会」が開催された。 安造田(あそだ)東三号墳は、まんのう町羽間にある古墳。 平成2年の調査で出土したモザイク玉が平成26年に最新鋭の分析機器に…
写真は、生駒家の家紋「波引車」はびきぐるま 豊臣秀吉の朝鮮出兵に参軍した生駒親正、もともと使っていた陣幕紋の内下半分が波の下に隠れたが、戦功を挙げたその事に由来し、家紋を「波引車」にしたという。 丸亀城にちらほら見える「波引車」、そして生駒…
生駒家は、生駒騒動で生駒高俊が改易となり、讃岐高松17万3000石から出羽矢島1万石へ転封となった。 矢島では、生駒高俊の後を嗣いだ生駒高清が弟生駒俊明に2000石を分知した為、8000石となり幕末迄交替寄合として存続している。 丸亀城城代であった佐藤家も…
丸亀城城代佐藤掃部は、佐藤志摩介の子であり、佐藤孫七郎の弟である。 天正14年(1586年)12月、豊臣秀吉の命を受け、九州島津征伐に従軍し、豊後戸次川に苦戦するも帰国。 天正15年(1587年)8月、讃岐国主生駒正親に2000石で召し抱えられ、生駒正親より国…
丸亀城の城代に生駒家家臣、佐藤掃部助がなった。 佐藤掃部について紹介する前に父佐藤志摩介について。 佐藤家は、本姓が宮脇。故あって佐藤に改姓した。 讃岐国香川郡伏石村キ(「鹿」の下に「巳」)紋胴城主にして香西氏の武将。 永禄11年(1568年)9月、…
四国IL高知ファイティングドッグスに入団した藤川球児が、6月20日、香川・徳島連合チームとのオープン戦に先発登板する。高知球場だ。 オープン戦とはいえ、日本球界復帰第一戦で注目される。背番号は「11」。 どういう投球をするか、今からドキドキワクワ…
丸亀城は、生駒親正の慶長2年(1597年)に着工し、生駒一正の慶長7年に完成した。 生駒一正は、慶長7年高松城に移り、丸亀城には城代が置かれた。 城代として、香川郡伏石村のキ紋胴城主佐藤掃部が就いた。 その後、生駒一正の子、生駒高俊の居城となった。 …
丸亀城の南門が大手門であった生駒家・山崎家の時代の北門は、石垣もなく唯だ粗末な丸木柱があっただけだった。 戦国時代の余波が残っていた事もあり、北方の海上警備として東汐入川の川口に川口番所が、そしてその上手に物見番所を置いた。 渡し場附近の東…
丸亀城は、『西讃府志』によれば、慶長2年(1597年)生駒雅楽頭親正が築いたと記され、現在の規模とはさほど変わりないが、大手門が南にあり、現在の搦手門に当たる箇所に大手門があった。 立派な大手門の他に桝形門や太鼓楼などが造られていた。 平成26年5…
米大リーグのレンジャーズから自由契約となった藤川球児選手が今日、自身の公式ブログで、四国アイランドリーグplusの高知ファイティングドッグスに入団することを発表した。 いやぁ、これは大ニュース。 高知商業で甲子園出場し、阪神に入団し、大リー…
丸亀城を南から望んだところ。 丸亀城は、京極家により大手門が北に築かれる迄、南が正面だった。 つまりこの搦手門こそが大手門だったということ。 平成26年5月撮影。 →藤川球児、四国IL高知ファイティングドッグスに入団決定 →丸亀城搦手門より三の丸ま…
王臣蹇蹇、匪躬之故。(『易経』) 王臣蹇蹇(けんけん)たり、躬(み)の故にあらず(『易経』) 臣たる者、自らに降りかかる艱難辛苦に立ち向かい、身命を顧みず、一生懸命に主君に仕え、努力して事を成し遂げていく。それは、己自身の利害の為にするもの…
平成27年6月21日、香川県高松市で サンポート高松トライアスロン2015~瀬戸内国際体育祭~が開催される。 サンポート高松赤灯台から中央通り五番町交差点迄の間で交通規制が布かれ、大々的に催される。 例年は9月開催であったが、今年は、6月開催だ。 今年も…
各務半左衛門は、文化13年(1816年)丸亀九番丁の生まれ。幼名岩之助。 槍術を堀田靱負に習い、富永流の兵法を修め、漢詩に通じ、文武両道に長ず。 藩主京極高朗公に信任され、徒士、中小姓、徒士目付、裏判方、銀札場御用掛などに昇進。 更に銀奉行、大割作…
丸亀藩の勤王志士村岡宗四郎の母であり、高松藩の勤王家小橋保蔵の妹である村岡箏子について。 村岡竹所の妻で貞靖と号す。円座村小橋道寧の長女。 文化12年生まれ、天保2年竹所に嫁ぐ。和漢の学及び書道和歌に通ずる。 竹所亡くなりし以後、村岡家の家政一…
村岡宗四郎正徳は、村岡竹所の長子で丸亀魚屋町で生まれる。 10歳~17歳迄、叔父である小橋保蔵(円座村)の許で皇典及び漢学を学び、武芸は居合を学んだ。 丸亀に帰ってからは、尊王攘夷に活動し、文久3年中山忠光が大和にて挙兵するとの報を受け、小橋・日…
丸亀城三の丸にある勤王碑は、土肥大作と村岡宗四郎を讃えて建立されたものである。 幕末の勤王志士村岡宗四郎正徳を語る前に村岡家について。 村岡家の祖は、平忠通より出づ。もと、多度郡南鴨村に居を構えていたが、敇清(ただきよ)の代に至り、家運が繁…